目に見えないもの③

インディヘナの会話で彼・彼女はオホを持っている(tiene ojo、冠詞は付けないことが多い)と聞く事が結構頻繁にある。これはバスの中やフィエスタ等、人が集まる場所で関心を持って(能動的に)見られたことが原因の病気と現地では信じられている。

これまで聞いたところによるとオホに掛かるのは小さな子ども、10歳位までだろうか。症状としては大抵の場合熱を伴う。オホに掛かるとインディヘナの人たちはクランデラ、自然療法のクリニックにその子を連れて行く。皆、オホと確信を抱いていても必ずクランデラ(女性が多い)の診察を受ける。

そこでオホと正式に診断されて、薬草をベースにした薬を貰うこととなる。大抵の場合、2Lのペットボトルと500MLのボトルにそれぞれ薬が入っていて、混ぜ合わせて飲ませることが多い。

なお、クランデラの診察所というのは民家なので住民以外は中々位置を特定することが難しい。大々的に宣伝している呪術師以外の場所が分かりにくいのと一緒。

目に見えないもの②

目に見えないものというと日本ではオカルトと捉えられることも少ないのではないかと思う。

ただ,そういったことは古来日本では大事にされてきたことではないかな。武道をやっている人であれば,言葉で表すことの難しい身体感覚を習得することもあるだろうし,予感とかもその部類に入ると思う。

かくれんぼやだるまさんがころんだ,ハンカチ落とし,椅子取りゲームもそういう間隔を養う遊びであるのではないか。

話がそれるけどまずはマヤの身体活用法から。日本では明治維新までナンバ歩き一般的だったという説がある。また,日本の武道にも特徴的な動きが幾つかあるけれど,それはマヤも一緒。専門家ではないし,しっかり研究したわけでもないけれど腰の使い方がそれではと感じる。腰で球を打つ球技もそうだし,現在も見ることの出来るソンという伝統的な踊りも腰の動きが特徴的。殆どの動きに腰が関係しているのは別にマヤに限ったことではないけど,腰の動きが特徴的なのは確かだと思う。

目に見えないもの①

グアテマラ人の大半はカトリック若しくはエヴァンジェリカルな訳だけど、マヤの先住民の場合は以前も書いた通り、キリスト教の概念に土着の宗教というか、マヤの世界観が混ざっている。

つまりシンクレティズムだ。

理解が浅いのかもしれないけれど個人的には欧州でキリスト教が浸透する前に神々として捉えられていた存在がその後キリスト教に精霊として取り込まれたことと似ているのかなと感じている。そうすることによってキリスト教を受け入れやすくしたのだろうか。

こちらで有名なサンシモンもその一例。有名なところではスニル市とかだと思うけれどサンシモンの像自体は呪術師のところや個人宅にも結構目にすることが出来る。

今の日本ではそういった目に見えないことというのが受け入れやすい環境とはとても言えないと思うけれどそれは結構最近のことかもしれない。少し前までは大抵の過程には仏壇があったわけだし。

脱線しているけどこの目に見えないものは先住民の生活に大きな影響を与えている。呪いもそうだし、オホやスストといった先住民間特有の病気・症状も関係してくる。今後その辺について少し書いてみたい。

パイロット・スタディ

現在、国立統計院によるセンサスのパイロット・スタディが行われているそう。

2002年のセンサスを使ってこの四市の先住民比率を見てみた。

910がケツァルテナンゴ県サン・マテオ市

1316がウエウエテナンゴ県サン・フアン・アティタン市

1605がアルタベラパス県タマウ市

1908がサカパ県サン・ディエゴ市。

サン・フアン・アティタン市の先住民率がサン・アンドレス・シェクル市並に高い。タマウ市も大半が先住民。サン・マテオ市が半々、サン・ディエゴ市には殆ど先住民が住んでいない。その観点から今回のスタディの市を選んだのかもしれない。

最初の三市の先住民族の割合がこちら。

タマウ市ではポコムチ族が71%、ケクチ族が26%近くを占めているけどこの2つの族が別々の村に住んでいるのかどうかはここからは分からない。

パイロット・スタディに出来れば参加したかったなぁ。

インターネット

以前インターネットをキチェ語で何と言うか紹介した。

インターネットを本格的に使い始めて今年で20年、院生の頃は便利な時代になったなぁと特に実感した。JSTORとかが発達していない時代を考えるとゾッとする。

ただ、便利さの反面弊害もある。キチェ語を含む先住民言語の学習においてもそうだ。キチェ語はまだ話者数が多いのでマシな方だけどそれでもネット上にある情報は限られていて、また、不正確なものも多い。

それから検索、調べるという行為をネット上のみで行う人が多い中、ネットで情報が見当たらなければ、この世に存在しないと思われてしまう危険性もある。キチェ語に限らずどんな言語もそうだけれど、ネットに無い情報や文章では表すことの難しい感性、感覚といったものが非常に重要だ。ただ、ネットがそういったものに辿り着く第一段階となっている現在、マイナーな先住民言語の学習は以前と比べて更に難しくなっているのかもしれない。