共同洗濯場

カンテル市の集落の一つにある共同洗濯場。

殆どの世帯は洗濯板と貯水槽が一緒になったピラを所有しているのでこの洗濯場は普段は使われない。

ではいつ使われるのかというと死者の埋葬後に死者が利用していた毛布、布団やシーツを女性が共同で洗うときに使う。死者の家族の衣類も洗うことがしきたりとなっているので結構な量となるので、十人以上の女性が集まって洗うこととなる。

Mansa’n

日曜の午前中、リンゴを取りに行った。自宅から徒歩で15分程。我々が所有している農園ではあるけど、誰でも入れる。リンゴはキチェ語でmansa’nという。スペイン語からキチェ語の一部になった一つの例。

道中には桃の木も沢山ある。

もちろんトウモロコシも。そろそろ収穫時期。

リンゴの木。

皆、楽しそうに採っていた。

今回はそんなに沢山は採らずcostal(koxtar)と呼ばれる袋一袋分だけ。それでも結構な量。

帰り道はトウモロコシ畑を横切る形となった。

Ucha’xik

キチェ語で~ということだ,~らしいといったニュアンスの言葉。

カンテル市出身の著名コラムニスト兼学者であるエンリケ・サム・コロップのプレンサ・リブレ紙上でのコラムのタイトルとして使われていた。

最近,数人のグアテマラ人と話していて気付いたけど,思った以上に先住民の文化って知られていない。理解する・しない以前の問題だと思う。

キリスト教の影響も多分にあると思うし,フーコーの考えを用いると中々興味深い現状が現れてくる。

少しずつだけど,自分にとって興味が尽きることがないであろう先住民文化について書いていきたい。

時が経つのは

カンテル市在住の姉妹。

左側が姉。この子が4歳の時に今はWalmartとなったHiper Paízでおもちゃを買ってあげたけど、今彼女の娘が同じような歳になって、その子にお菓子を買ってあげたりしている。

おもちゃを買った時には右の子はまだ生まれてもいなかった。時が経つのは早いと如実に感じる年頃になった。

色んなことが変わったと思う。ただ、聞いている音楽だけは幼少時から殆ど変わらない。そういう子供の頃から聞いているものを聞くときだけ、目が若返る気がするのは単なる気のせいではないかな。