キチェ語話者数

キチェ語を話す人の総数は100万人以上とはよく言われるがその根拠というのが説得力に欠くものが多い。

2002年の国勢調査を改めて見てみた。15年前に集計されたデータだけど来年新たな国勢調査が発表されるまでは最新のものなのでこれを使う。  このセンサスでは3歳以上の人に対して言語の質問をしているのでデータを3歳以上の人口に絞る。

その後、話者数が多い5先住民言語のグラフを実数とパーセンテージで表したのがこちら。

母語、若しくは第二・第三言語としてグアテマラでキチェ語を喋る人は952,503人、四捨五入すれば百万人となるけれど百万人以上とはならない。まぁ、百万人に近いことは間違いないけど。15年前と比べてグアテマラの人口は大分増えたけどそれが先住民言語の話者数増加に繋がっているのかは判断し難い。どの程度喋れれば話者と数えることが出来るかによるかな。

パーセンテージのグラフがこれ。敢えてY軸の上限を100にした。キチェ語話者は三歳以上の人口の9.32%となっている。

どちらにしてもこれは15年前のデータなのでやはり現状を知るには新たなセンサスのマイクロ・データが欲しい。

Rコードはこちら

K’iche’ ch’ab’al ruk’ LaTex (LaTeXでキチェ語)

キチェ語のノートは前にも述べたと思うけどLaTeXで管理している。ファイルも軽いし何より好きな様に編集できるのが利点。

ただ、これまでは論文執筆を中心に使ってきたため、これまでとは少し使い方が異なり新たな機能が必要となったので作ることとした。

例えば問題への回答を下線と朱色の文字を使って書くということ。下線の長さを統一したり、微調整する時に面倒なことが多かったのでこう書いた。

また、キチェ語の文法ではシータをよく使うけど、これはノートでは必ず太文字を使っているので

を入れておけばその後は気にする必要なし。

後は空白の統一や自動インデントを除く仕様にした。インデントについてはこうする。

こんな風にノートを作成している。

実行結果はこちら。細かいところは今後説明したい。備忘録として役に立つ。

なお、Wachi’l, chqatatab’ej jas le kub’ij le qajtijは「みんな(友達)、先生の言うことを聞こうよ!」という意味。

Urikil ri Nicaragua

今日の晩御飯はニカラグアの定食(urikil ri Nicaragua)。現地のビール、トーニャと共に。

博論関係で現地に居た時からガジョ・ピントを始めとしたニカラグア料理は好きだったけど、今は懐かしさも加わり更に美味しく感じる。先週は色々と大変だったので特に美味しく感じた。

食堂で流れているラジオでは珍しくメルセデス・ソーサが歌う「Solo le pido a Dios」が。院生時代を思い出しながらゆっくりと食べた。

ふと学部生の頃に読んだNancy MorejónのMujer negraという詩を思い出した。以下一部抜粋:

Todavía huelo la espuma del mar que me hicieron atravesar.
La noche, no puedo recordarla.
Ni el mismo océano podría recordarla.
Pero no olvido el primer alcatraz que divisé.
Altas, las nubes, como inocentes testigos presenciales.
Acaso no he olvidado ni mi costa perdida, ni mi lengua ancestral
Me dejaron aquí y aquí he vivido.
Y porque trabajé como una bestia,
aquí volví a nacer.
A cuanta epopeya mandinga intenté recurrir.

                        Me rebelé.

Su Merced me compró en una plaza.
Bordé la casaca de su Merced y un hijo macho le parí.
Mi hijo no tuvo nombre.
Y su Merced murió a manos de un impecable lord inglés.

                        Anduve.

人口学とか統計が専門で読解力に乏しいと自覚しているけど、それでも多感な二十歳の時にこれを読んだ時はこの「anduve」という一語に衝撃を受けたのを今でも良く覚えている。

ニカラグア料理の食堂に来てメルセデス・ソーサの歌を聴いてこの詩を思い出す。やっていることは20年程前と殆ど変わらない。時は確実に過ぎ去っているのに。過去に生きているような不思議な感覚。でも実際にはそんなことはない。この詩の中における「anduve」という一単語からもっと多くの意味を引き出せる様になったのはそれだけ歳を取ったからだしね。

食後はバリオス広場でゆっくりしてから帰途へ。トランス・メトロでは帰っていないけど。スマホの写真なので絞りが上手く調整できずあまり良く撮れなかった。

キチェ語を学ぶことの難しさ

昨日の記事の補足。

前述の通りキチェ語は各地域で大分語彙が異なる。

その理由としては各地域がそれぞれ異なる山岳部に位置していることから行き交いが頻繁で無かったことが理由の一つかなと個人的には考えている。歴史を辿っていけばreducción de pueblosといった悲しく且つ複雑な理由もあるけど。また,他地域と交易をする必要もそれ程無かったのかもしれない。基本,自給自足だし。

例えばカンテル市に地方からの移民の流入が始まったのは1900年代初頭で,それも大きな繊維工場が出来たことが理由。その点ではカンテル市は特別といえる。

で,地域差がキチェ語の学習意欲を失わされる理由の一つ。特にノン・ネイティブ,つまり外国人を含む非先住民の場合,他地域で通じるキチェ語が通じない場合どうしても「あなたは先住民ではないから」と言われて学習を断念するというケースが多い。言う方にしても悪気は無いけど,どうしてもそういう心理的隔たりはある。また,キチェ語を話す人々の多くが地域間の違いについて認識していないケースが多いことも問題を深刻なものとしている。

具体例としてはパイナップルが挙げられる。ナワラ市ではch’opというらしいけど,カンテルではmatzati’。ただ,この単語も40代後半以上の世代は知っていても若い世代はスペイン語のpiñaしか知らないことも多い。また,キチェ族の大半はキチェ語のアルファベットでの書き方を学んだ経験がないため,大半のネイティブからキチェ語を学ぶには学習者にもある程度のレベルが求められる。学習環境は整っているとは言えない状態だけど,これがグアテマラで最大の話者数を誇るキチェ語での話だ。まぁ,その他の言語では地域間の差異を気にしなくて良い言語があったり良し悪しはあるけど。

まぁ,色々と困難を伴うキチェ語学習だけどグアテマラ西部地方の先住民文化を本当に理解しようとしたらその地域の言語の習得は必須かなと思う。