11月初頭に撮ったトウモロコシ畑(milpa/ab’ix)の写真。
天気も違うので分かりにくいかもしれないけれど、大分乾いてきた。20日に収穫する予定。スペイン語ではtapiscarがトウモロコシの収穫に充てられた動詞。
マーク・トウェインの有名な言葉
Let us endeavor so to live so that when we come to die even the undertaker will be sorry.
葬式屋ですら悲しむように人生を一生懸命生きようといった意味。
毎日の様に人の死に接している葬儀屋が他人の死を悲しむ訳が無いと思う冷めた自分がいるけれど,実際にそういう光景を目の辺りにして考えが変わった。カンテルにはそういうk’aslemal、人生を送っている人が多くいると実感した。
ある先住民女性の埋葬に同行したときにそれは起こった。本当に葬儀屋のおじさんが涙ぐんでいた。家族は殆どが失神してしまい,泣くどころの騒ぎではなかったけど。他人の比べて特筆すべきところはなかったかもしれないけれど,日々一生懸命子供や孫の世話をしてきたことがこんなにも惜しまれて亡くなったことに繋がったのだと思う。読み書きが出来ないことを恥ずかしく思っていた方だけど,埋葬の場に立会い立派な人生を送られたと感じた。
無理だと思うけどそういった人生を送れたらなぁと願ってやまない。そういう心の琴線に触れてくれる人に会いたくてこの小さなマヤの村を離れることが出来ないんだなぁと思った。
このApril Come She Will、読んで分かる通り倒置法を使っている。この文法が歌詞に深みを持たせていると個人的には思う。
この歌詞の意味って解釈が分かれると思うので触れないけれど、最後のこの一文が大好きだ。
A love once new has now grown old.
生きている実感というかそれに関係のある感情がこの部分を聞く度に湧き出る。生生流転と通じるものがある。単に歳を取ったせいかもしれないけど。