先輩が出演している映画を見てきた。金曜日でしかも無料だけどグアテマラ・シティでは二日目の上演だからと思っていたらチケットを全て配布してしまったのこと。「もう今日は配るチケットは無い」と言われたけど、予約済みのもののキャンセル待ちが出ると判断し待っていたら何とか入ることが出来た。
確かに埋まっていた。
肝心の先輩はどうしても来られない事情が出来て会えなかったのは残念だったけれど、映画自体は見る価値がある。近年のグアテマラを題材にした映画では間違いなく最高傑作だろう。
3部に別れた映画で一番関心を引いたのは80年代の大量虐殺に関するリオス・モントの裁判。個人的にも知り合い(以上の人だけど)の父親が誘拐されたという話を何度か聞いたことがあるけど、やはりイシル地帯を始めとしたキチェ県のその当時の状況はカンテルとは比べものにならない。イシル語は全く分からないけれど発音でマヤ系言語と分かるし、そのトーンで字幕を見なくても話の内容は想像出来る。また、先住民のスペイン語の発音もカンテルの集落で話されているものと似ているためどうしても感傷的になってしまった。
その後第二部・第三部はそれぞれ鉱山・採掘活動・土地の権利問題とオットー・ペレス・モリーナ元大統領関連汚職事件発覚後の大規模デモについて取り上げていてどれも素晴らしい出来だったけど、この映画の質を高めている要因は身内びいきが多少入っているかもしれないけれど、イルマ・アリシアのナレーションであることには間違いない。
グアテマラの先住民女性ではまず間違いなく最も理論的な活動家・ジャーナリストであると思うし、グアテマラ全体でも彼女より優秀なジャーナリストはいても少数だろう。その点はもう一人の主役級の活動家と比べると明確な差がある。イルマ・アリシアは彼女の世代ではグアテマラの民族問題を含む諸問題を解決することが出来なかったと言っているけれど、彼女自身がもう少し前の世代の人間であれば内戦や民族問題はどうなっていただろうと考えてしまう。彼女自身頭の良い人だろうし、加えて彼女のアメリカでのアドバイザーも物凄く優秀な人だったことも、発言力や分析力を高めるのに相乗効果をもたらしたんだろうなぁと思った。
しかし戦う女性というのは偉大だなぁと思った。ドキュメンタリーだし、私にとっても当事者じゃないけれど他人事でもない悲しい事実を突きつけられる辛い映画にも関わらず、イルマ・アリシアが輝いて美しく見えるし、もう一人の活動家の子も凄く小さな体格であるにも関わらず映画の中でももの凄く大きく見えた。それだけの存在感があった。
この映画を見て公的教育はやはり重要だと思った。人に物事を明確に伝えたり論破するためにはそれなりの準備が必要。明治維新が成功したのも日本にはそれだけの人材が揃っていたことがその一員だけど、残念ながらマヤ先住民にはそういう人材を十分揃えることはまだ難しいと考えざるを得ない。サム・コロップも亡くなってしまったし。活動家は沢山いても維新後や士農工商の枠を超えた考え方が恐らく出来たであろう坂本龍馬の様な人材がイルマ・アリシア以外にいるかというと判断しづらいところがある。
最後に見るのが辛い映画だけど見て良かったし、見るべきだと思った。博士号を取ろうと決めた理由を実感し直したことに加えてまぁ、忘れていた色んな感情を取り戻せた気がした。